育児とは、観察することと見つけたり

朝、腕時計をチラチラと見ながら、自分でくつをグズグズと履こうとする娘を見ていると、
胸のあたりからイライラがやってきて、ついつい「早くして!」と言ってしまう。

くつを履くことにかぎらず、服を着るのでも、歯を磨くのでも、ご飯を食べるのにも、
絵や字を書くのにも、ブロックを組み立てるのにも、子どもにはこうしたことが頻繁に起こる。

共働きで朝晩忙しく過ごしていたり。
仕事の悩みや、夫婦関係がちょっとぎくしゃくしていたりしいるようなことが重なると、余計にまずい。

3才くらいから子どもは「なんで?」の虫になります(※参考 『4歳娘が「なんで?」と質問したこと100選』)が、親側もこの時期、

「なんで、できないんだ?」

と思って、イライラするという経験を、しばしばするようになると思います。

でも、この1~2年の間に、これはイケないのだと思うようになりました。
それは、この期間に体験してきたことが大きく影響しています。

・娘の発達を示す発言や行為に気づくことができるようになってきた。

・娘との問答を通じて「なんで?」の持つ可能性や問答の大切さを考えるようになった。
 (※参考 『子どもの「なんで?」が持つ力と可能性』)

・プロジェクトの進め方について研究するようになった。

この3つに共通するのは、「方法」と「過程」に着目する、ということです。

娘の子ども特有の見立てる力、連想する力、不足から創発する力などを面白く、興味深く感じて、「なんで、そんなことを口にするんだろう?なんでそう考えるんだろう?なんでそう行動したのだろう?」と考え、本やネットで調べる。加えて、娘との問答を重ねていくと、

「あぁ、そういう方法(又は考え方、プロセスを経て)で、そうしたのか」

という発見をしたり、感心したり感動したりする、ということを繰り返してきました。

一方、様々なプロジェクトをマネジメントしていく中で、遭遇する事象や発見した情報を素材や機会と捉え、その間の関係線や、それらとプロジェクトのCSF(主要成功要因)やゴールとの間の関係をつないでいこうとすると、遭遇する事象や発見した情報をよく観察するようになります。(というより、観察せざるを得ない)

特に前者の2つについての経験は大きく、何と言いますか、自分という主観モードのままだと、感情が入ってしまってイライラしてしまうところを、観察モードになると、「こうやっているから、できない」とか、「ここをこう変えたら、うまくいく」ということだけに注目できるようになります。

「なんで、できないのか?」が先に立つのではなく、
「なんで、そうやるのか?」が先に立つようになります。

そうすると、子どもは子どもなりの考えや方法で、それに取り組もうとしていることが見えてきます。
するとすると、方法によってはいとおしく思えるようにもなってくる。

さらに、そのことについて子どもと問答をして、子どもが自分がその方法を取っていることを説明ができたら、それは素晴らしいメタ認知の新芽のようなものとして、いつくしみたい気持ちになりますし、説明できなければより良い方法やそのためのヒントを伝えれば良い、という考えになります。

観察、というのはイライラ、いそいそしていてはできません。
観察しようとすれば、必然的に動作をスローダウンし、その対象にしっかりと向き合わなければなりません。

子どもの、時間がかかってしまう行為を、遅いと「感じる」のではなく、
なにをどうやっているのかと「観察する」。

客観的に見る、というとなんだかドライな感じがするので、観察モードと便宜的に書いておりますが、要は「方法を見よう」ということなのだと思います。

なんてことを考えながらも、今朝は私の当番でなかったのに、娘に「パパとほいくえんにいきたい」と言われ、イライラしながら娘の支度を待ってしまった私が、最前線からお伝えしました。
(でも、「早く!」とは言わなかったぞ!)

このブログの人気の投稿

オラリティとリテラシー。~子どもが世界を知る二つの経路

著者が解説『プ譜』とは何か?概要とテンプレートを紹介します(動画あり)

高崎線の四人ボックス席で帰るプロジェクト 後編