子育てのステレオタイプを越えていけ。


私には5才と1才の娘がおりますが、このあたりの年齢の子どもがおりますと、時々というか、しょっちゅうというか、
子どもを保育園に預けて働くことがうんたらかんたら、
男性と女性の家事分担がうんたらかんたら、
子どもには早期にプログラミングを教えた方がいいとかかんとか、
などと、様々な情報が飛び交って、胸がざわざわ致します。

そうした情報の中には、「子育てはこうあるべき」とか、「父の役割は、母の役割はかくあるべし」といったステレオタイプが引き金になって話題になるものも多いです。

ステレオタイプというものは、長い歴史的文化的背景から来るものもあれば、戦後たかだか数十年の間につくられたモデル(或は幻想)から来ていますが、知らず知らず人の脳みそや心に巣食っています。

わが家の親と子もそうしたステレオタイプに巣食われているようで、

「子どもは友達と仲良く遊ぶべきだ」
「早く保育園に迎えにいってあげないと可哀想だ」
「男の子はこうじゃなきゃ」

というステレオタイプを実感することがありました。

例えば、「子どもは友達と仲良く遊ぶべきだ」というステレオタイプについて。

アーネが5才になる少し前の頃だったと思いますが、夕食の席でアーネが

「きょうは◯◯ちゃんと□□ちゃんががあそぼうあそぼうといっていて、いやだった」

と口にしました。
私からすると、「子どもは友達と仲良く遊んだほうがいい」と何の気なしに思っておりましたので、
「誘ってくれたんやったら遊んだらええやん」と言うと、

「アーネはのんびりほんをよみたかったんだよ」

と言ったのです。
私自身一人で遊ぶのが好きな方だったので、これには参りました。


また例えば、「早く保育園に迎えにいってあげないと可哀想だ」というステレオタイプについて。
アーネが通っていた保育園には、夫婦二人とも早くお迎えに行けない時、「スポット」という通常の預かり時間以降、
捕食を出してもらって保育時間を延長する仕組みがありました。

このスポットを利用する家庭は1クラス1~3名ほどだったと記憶していますが
人が減った教室でポツンと捕食を食べているといたたまれなくて一分一秒でも早く迎えに行きたいと思います。

でも、ある日アーネが今日はスポットの日だと知ると、

「スポットだ、やったー!」

と喜んだのです。アーネ曰く、「スポットのごはんがおいしい」、「自分より年上や年下のクラスの子どもと遊べる」のが
理由だそうで、私の心が勝手につくったイメージとは全然違うのです。
(アーネが毎回そう思っていたかどうかはわかりません)


上の二つのステレオタイプは私(親)が持っていたものですが、子どもにもステレオタイプはできているようです。

アーネが4才になるまで、よく二人で「可愛いポーズをするごっこ」をしていたのですが、
ある日を境に、「パパはおとこだからかわいいポーズをやっちゃダメ!」と言うようになりました。

そこで私は「羽生(結弦)くんもやるよ?」と言うと、

「はにゅうくんはうつくしいおとこだからいい。パパはうつくしくないからダメ!」

と答えたのです。
じゃあマツコ・デラックスはどう?と聞きたいところでしたが、それ以上に、こうした男だからとか女だからというステレオタイプがこの年齢からできていくことに不思議さを覚え、いったいどういう経路で、どんな情報や価値観に触れて、こうしたステレオタイプが心の中につくられていくのか、たいへん興味が湧きました。

こうしたステレオタイプがあることのメリットにどういったものがあるのかまだ考えておりませんが、少なくともそれが社会や個人と合っていなくて、苦しい思いをするのであれば、そんなステレオタイプは越えていけばよいのだということと、「うつくしいおとこ」でくなくても素敵な男はいるのだということを、強くうったえていきたいと思う次第であります。

以上、親バカが最前線からお伝えしました。

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