モノ・コトへの「なんで?」を、自分のココロに向かわせる。
4才頃からアーネ(今、5才)が猛烈に発した「なんで?」を集め続けて一年が経ちました。
子どもの「なんで?」にはたいへんな力があると一人ごち、できるだけアーネの「なんで?」に付き合ってきましたが、
どうもそれにかまけすぎて、もっと大事なことを疎かにしていたような気がします。
引越をして環境が大きく変わったことが理由なのか、私たち夫婦も環境の変化から気持ちが落ちつかなかったりして、それがアーネへの対応ににじみ出てしまっているのか。
アーネがちょっとしたことで激しく怒ったり、泣いたりするようになった気がします。
アーネの「なんで?」に付き合うことを意識してから、私自身がアーネの見せる行為や言葉に対して、「なんでこうしたんだろう?」、「なんでこういう態度になるんだろう?」と考えるようにしてきたつもりでしたが、そう考えることを、サボってしまっていました。
アーネの様子にどう対応してよいのか、「なんで?」と自分に問うてみて、一つ考えたことがあります。
これまでアーネは自分が目にしたもの触れたものに対して、「なんで?」とたずねてきました。
たずねる対象は「自分の外」にあります。
こんなに、自分の身の周りにあるモノゴトに対して「なんで?」と問えるのだから、その矢印を、「自分の内」に向けてみてはどうだろうかと。
5才児にそうしたことができるのかわかりませんが、「なんで?」を自分の内に向けられるようにするにはどうしたらいんでしょう?
親が「なんで◯◯したのか、自分のこころにきいてごらん」と促して、それができれば世話がない。
親が、子どもがどんな態度であろうとも、大らかに包み込むことができればいいのかも知れませんが、それを今の私にできる自信がとてもありません。
そこでベタなのでしょうが、なにか主人公が自分の心を見つめるような物語でも読ませてみてはどうかと思いました。
絵本がいいのか伝記モノがいいのかマンガがいいのか。
色々迷って、読んだこともないけれど、挿絵が多くて飽きないかもしれないという別の理由で『秘密の花園』を買ってみました。
そして数日後。
アーネに秘密の花園を読み聞かせ始め、数分経ったころだったでしょうか。
アーネが本に挟んであった紙のしおりをいじり始めて、時折そっちに目を向けるようになって、段々イライラしてしまった私は、「ちゃんとおはなしを聞けないなら、やめるよ」と怒ってしまいました。
あぁ、もう私が悪い。
お話がつまらなくなったのかも知れないし、じーーっと聞いていて手持ち無沙汰だったのかも知れないし。
そもそも読み聞かせを“ちゃんと”聞くってのはどんな状態なんだと。
微動だにせず、集中して聞いていればいいのかよと、怒ってすぐ自分に言ってみましたが、時すでに遅しで、自己嫌悪をかかえたまま今日も生きています。
子どもの「なんで?」にはたいへんな力があると一人ごち、できるだけアーネの「なんで?」に付き合ってきましたが、
どうもそれにかまけすぎて、もっと大事なことを疎かにしていたような気がします。
引越をして環境が大きく変わったことが理由なのか、私たち夫婦も環境の変化から気持ちが落ちつかなかったりして、それがアーネへの対応ににじみ出てしまっているのか。
アーネがちょっとしたことで激しく怒ったり、泣いたりするようになった気がします。
アーネの「なんで?」に付き合うことを意識してから、私自身がアーネの見せる行為や言葉に対して、「なんでこうしたんだろう?」、「なんでこういう態度になるんだろう?」と考えるようにしてきたつもりでしたが、そう考えることを、サボってしまっていました。
アーネの様子にどう対応してよいのか、「なんで?」と自分に問うてみて、一つ考えたことがあります。
これまでアーネは自分が目にしたもの触れたものに対して、「なんで?」とたずねてきました。
たずねる対象は「自分の外」にあります。
こんなに、自分の身の周りにあるモノゴトに対して「なんで?」と問えるのだから、その矢印を、「自分の内」に向けてみてはどうだろうかと。
5才児にそうしたことができるのかわかりませんが、「なんで?」を自分の内に向けられるようにするにはどうしたらいんでしょう?
親が「なんで◯◯したのか、自分のこころにきいてごらん」と促して、それができれば世話がない。
親が、子どもがどんな態度であろうとも、大らかに包み込むことができればいいのかも知れませんが、それを今の私にできる自信がとてもありません。
そこでベタなのでしょうが、なにか主人公が自分の心を見つめるような物語でも読ませてみてはどうかと思いました。
絵本がいいのか伝記モノがいいのかマンガがいいのか。
色々迷って、読んだこともないけれど、挿絵が多くて飽きないかもしれないという別の理由で『秘密の花園』を買ってみました。
そして数日後。
アーネに秘密の花園を読み聞かせ始め、数分経ったころだったでしょうか。
アーネが本に挟んであった紙のしおりをいじり始めて、時折そっちに目を向けるようになって、段々イライラしてしまった私は、「ちゃんとおはなしを聞けないなら、やめるよ」と怒ってしまいました。
あぁ、もう私が悪い。
お話がつまらなくなったのかも知れないし、じーーっと聞いていて手持ち無沙汰だったのかも知れないし。
そもそも読み聞かせを“ちゃんと”聞くってのはどんな状態なんだと。
微動だにせず、集中して聞いていればいいのかよと、怒ってすぐ自分に言ってみましたが、時すでに遅しで、自己嫌悪をかかえたまま今日も生きています。