「ねえ、アーネのはなしきいて」


打合せをしていると、相手と発言がかぶってしまった時や、相手が発言中であろうとなんだろうと、魁皇関も顔負けの強引さでもろざしてきて、話を続けて寄り切ってしまう人に遭遇することがあります。話をさえぎられた相手はいい気持ちをしないでしょうから、これは上等な手じゃないと思うのですが、そうしたお作法、エチケット、コミュニケーション術を知らない子どもも、当たり前ですが同じことをします。

発言小町やYahoo!知恵袋をのぞいてみると、途中で会話に割り込んでくる子どもに悩んでいる方がいることがわかります。(参考 『子どもが会話に割って入るのをやめさせたい』

私は子どもの語彙を増やすうえで、親と子だけの会話でなく、子どもの前でも両親間の会話をすべきだと考えておりますが、コミュニケーションを円滑にする術を学ぶことと語彙を増やすことはまったく別物です。
会話にスムーズに入っていけるようなコミュニケーション力を育むにはどんな手段があるか考えていたころ、当時4才になったばかりのアーネが、私たち夫婦の会話を聞いている途中に、

「ねぇ、アーネのはなしきいて」

と言いました。

「きいて」と求められれば、自然と私たち両親の目も耳もアーネに注目します。その場でアーネが何を話したのか覚えておりませんが、

「アーネのはなしきいて」

このワードに効果が得るということを知ったアーネは、私たちとのコミュニケーションにおいて自分が発言したいという意思を伝える手段を得たのだと思います。

このワードが、他者の会話をさえぎってしまう可能性があること(これを空気が読めないと称する人も)は否定しませんが、なんの前触れもないよりは上等ではないでしょうか。

・・・とまぁこんなふうに考えてみると、言葉というのは本当にコミュニケーションのための武器・道具だと思います。

仕事の打合せや、社外の方との飲み会の席などで、「この人は会話に入ってくるのがうまいなぁ」、「会話の流れを引き取って、渡していくのがうまいなぁ」と感じる人がいます。

扱うのは言葉なので、当然いつ、どこで出すかは重要なれど、友人のGさんは「それでいうと」という言葉をうまく使って会話の流れを引き受け、また他者にパスを出していくのが非常にうまいです。

私は師匠に「会議室で発言しないヤツは存在価値がない」と耳にタコができるくらい言われ続け、私自身もそのような考えを持っておりますが、アーネが成長せていくにつれ、硬軟おりまぜた会話への入り方と、受け渡し方ができるような会話をしていきたいと考える次第であります。

ちなみに、アーネはこの時期、「ちがうの」という言葉をよく使いました。
アーネが何かかくし事をしていて見つかった時、この言葉を出して逃げるようになったわけですが、これも一つの道具であります。

以上、親バカが最前線からお伝えしました。

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