時間ブロック ~「量」で時間を伝えてみる

仕事においても子育てにおいても、「多様な視点でとらえられるように」ということが求められているようです。
これから、一社で完結しない、非ルーチン型の仕事が増えると予想して、異なる国籍、文化、企業の人々とプロジェクトチームを組む際、互いの違いを認めてコミュニケーションを取りながら仕事をするのは大切な能力でしょう。新規事業のプロジェクトマネジメントなどでは、ある方法(選択肢)に固執しすぎて、前に進めなかったのが、何かのきっかけで別の方法を思いついたり、遭遇した事象の受け止め方(問題の表現の仕方)を変えたりすることで、プロジェクトが一気に解決に向かうということも、多様な視点でとらえられることの恩恵です。

このようなことを経験すると、モノゴトを「多様な視点でとらえる」ことは大事であると納得するものの、今わが家にいるアーネ(6才)とジージョ(2才)を前にすると、この子たちに何をどうやれば「多様な視点でとらえる」能力を育むことができるんだろう?と考えこんでしまいます。

アーネは来年小学生になりますが、小学生が相手であれば、国語の時間に「この時〇〇はどんな気持ちだったと思いますか?」といった、他者の気持ちを考えさせたり、社会科であれば、ある歴史上の出来事において、異なる「立場」の人間にとってその出来事がどういう意味を持つか、どんな結果をもたらしたかといったことを考えさせたりするのではないかと思います。算数や理科であれば異なる「方法」を試させるというやり方があるのかも知れません。

ただこれを未就学児や小学校低学年に対し、言葉を用いて、例えば、相手の立場に立って考えさせることや、エピソードとして理解させたりすること)は難しいのではないかと思います。
言語だけに頼らない方法、言語以外の認知リソースを使用した方が、“感覚的に”モノゴトを多様にとらえる能力を身につけさせることができるのではないかと考えました。

そこで、アーネが「時計、時間」というものをまだうまく理解できないことをキッカケに、「時間を量でとらえる」という方法を試してみました。


この背景には、保育園から帰宅すると、「忍たま乱太郎」やら「天才てれびくん」などをずーっと見続け、ピアノの練習をするのを忘れて、「パパと遊ぼうと思ってたのに・・・」と、泣く泣く寝る前に練習をするというのを繰り返していたので、一日はいったいどのくらいの時間があるのか。保育園から帰宅後、テレビを見て、食事し、風呂に入り、寝る時間を足していくと、パパと遊ぶ時間がどのくらい残っているのか、といったことをわかってほしいといったことがありました。

この時間の概念というものを本物の針時計やペネロペの絵本の時計で説明をするのですが、これがどうにも伝わっていきません。
「短い針が8で長い針が12だから夜の8時」というのはわかってきましたが、「じゃあ、あと1時間しかない」、「だから〇〇をしよう」という風になかなかならない。
もう少し年齢が高くなれば、夏休みにやったように、円グラフで伝えるとう方法もあるのでしょうが、今回は、もっと感覚体・身体的にわかることができるように、普段からよく遊んでいるデュプロのブロックをつかって、時間というものを表現することにしてみました。

で、できあがったのがこちら。


24時間分の図表を書き、30分を1個のブロックとして、2個つみあげれば1時間。


ちょっとでも興味をひくよう、アーネが赤ちゃんのころから好きだった絵本のキャラクターをちりばめてみて・・・


にしても、これはなかったかな・・・、ごめん、『つきのぼうや』。


ブロックの色ごとに、「ねる」とか「テレビをみる」とか「ピアノのれんしゅう」などと、意味を振り分けます。

この1個30分のブロックを目にし、手に取ったアーネは、

「こんなにすくないの!?」

と驚いていましたが、それが「天才てれびくん」を見る時間がこんなに少ないのだからもっと見たっていいんじゃん!なのか、だからもっとパパと遊びたいな、と思ったのかは定かではありません。
また、この表を使って毎週末の予定を立てるわけではありませんので、以後アーネの時間に対する理解や感覚が劇的に変わっていることは全くありません。

ただ今回試してみたかったのは、モノゴトを多様にとらえる能力を育む上で、未就学児や低学年の子どもには、その能力を直接的に言葉で教えるということよりも、間接的に言葉以外の手段でわかるようにする方法があるのではないかということでした。

モノゴトを多様にとらえられるようになる、ということは、「モノゴトとの関係を豊かにすることができる」と表現できると思います。何で以て豊かにするかは、言語以外の認知リソースを使用することや、モノゴトの単位(と言っていいのかわかりませんが、今回の例でいえば、時間を量で表現すること)を変えてみること、自分とモノゴトとの距離、縮尺を変えてみることなどで実現できるのではないかと考えています。


私の知人の企業のコンセプトメイキングから空間・造形・紙なんでもできるデザイナーは、幼少のころ通った多摩美の元教授ご夫婦がひらいた絵画教室で、ただ写生をするのではなく、先生がピアノでひいた音楽や、絵本の読み聞かせのあとに、今の音楽・お話を、絵にしてみましょうという描き方をしていたのだそうです。

見て描くだけではなく、聞いて、聴いて、描く。

これもまた通常とは異なる認知のリソースを使用した、描くということとの豊かな関係のあり方なのではないでしょうか。

こうした経験を通じて、言語だけに頼らない、モノゴトを多様にとらえる力が育まれていくのではないかと思いますが、まだ根拠も知識もないので、「知らんけど」で終わります。

以上、親バカが最前線からお伝えしました。

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