歯グキが道路で、歯がクルマだったらどうする?~子どもの原アナロジー力

アーネの成長につきあってきて感じるのは、子どもに言葉が通じるようになってくると、ついつい「コトバ(口と耳)」だけでモノゴトを伝えがちになるなぁ、ということです。

世の中には、聴覚優位の人もいれば、視覚優位の人もおり、発達の段階によって、そのバランスが異なったりするのだと思います。

こうしたことを思うと、絵やイラストで書いて見せる。ブロックや粘土でつくって見せる、といった、コトバ以外の表現手段で以って、モノゴトを伝えるようにした方が、伝えたいことを更にわかりやすく伝えられるのではないでしょうか。

異なる表現をすれば、伝わりにくいことも、表現を変えることで、どうにか伝えることができるようになる。

新規事業の計画書やクライアント向けのプレゼン資料などを、パワポやエクセルなどでわかりやすく伝えようと奮闘されている方にとっては、子どもに限らず思いあたることではないでしょうか。


アーネは6歳になり、自分の気持ちをずいぶん言葉で表現できるようになってきましたが、眠気がまさったり、時間や登場人物など要素が複雑に絡む状況だったり、気持ちの状態によっては、コトバではうまく理解できないことがあります。

そんな時、ブロックを人間に見立てて、家族四人がいかに効率的に風呂に入れるかを説明したり、ブロックで一日の予定を説明したりします。

そんなことをしておりましたら、時々アーネがジージョに同じようなことをして見せるようになってきました。

私と同じように、ブロックを人間に見立てて風呂に入る順番を説明したり。アーネのように編み込みをしたいジージョに対し、指と毛糸を髪に見立てて説明したり。

「ピンクがアーネで、むらさきがパパとするじゃん」と、ジージョ(2歳)に説明

こういう姿はたいへん微笑ましいものでありますが、同時に、子どもの抽象化やアナロジーの原始的な力を垣間見るおもいです。

アナロジーの力については、本ブログでも度々述べておりますが、子どもは元来primitiveな形でこうした力・素養のようなものを持っているのだと思います。

アーネが4歳の頃だったと思いますが、「歯グキが道路で、歯がクルマだったらどうする?」という喩えをしたことに驚いたことがありました。
何かの事象を見て、「◯◯と☐☐はおともだちだね」という喩えをしたこともあります。

これはコトバのアナロジーですが、これをカタチやシクミなどにも広げていく。
或いは、カタチやシクミのアウトプットから始めてみる。

まもなく小学校に上がるアーネにはアーネなりの。今年3歳になるジージョにはジージョなりの、primitiveな力の育み方があるだろうと思いながら、本日も親バカが最前線からお伝えしました。

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