アーネの音読と黙読。と、創発の可能性

たしか、2017年の夏ごろから本格化し出したと思うのですが、アーネ(6才)が黙読するようになりました。
アーネの読書の歴史を振り返ると、こうなります。

始まりは、読み聞かせ。

松谷みよ子シリーズなど、ページ数も文字数も少ないものから始まりました。
うんざりするほどの「もういっかいよんで」を耐え忍び、何度も何度も読んだものです。
何度も読んでいると、セリフも覚えるようになるのか、「いないいなーい」と私が口にしてページをめくり、次のページを開いた瞬間、

「ばぁ!」

とやるようになりました。
そういう、読んで、聞いて、覚えたのであろうセリフを口にする。
そんなスタイルです。

ひらがなを読めるようになったのは、2才半頃だったように思います。
これと時を同じくして、簡単な絵本は自分で読んでいたようです。

このときの「読み」は、間違いなく声を出していました。
(一文字一文字、リズムも何もない、たどたどしく、つまりながら声を出して読んでいる動画がたくさん残っています)

字が読めるようになっても、読み聞かせは続きます。
歳を重ねるにつれ、長いお話も読み聞かせるようになりました。4才の頃には、赤毛のアンのアニメ絵本も読んでいました。

5才の秋には、斎藤隆介作、滝平二郎絵の『半日村』を読みます。
このとき、アーネはたぶん初めて、本の一節(数行)を「暗誦」するということをしました。
アーネの暗誦を目のあたりにして、暗誦には文章のリズムが重要なのではないか、ということを考えましたが、実際のところがどうなのかは調べておりません。

この、半日村を読んでいた年末に、今度は『もちもちのき』を読みました。
この時も、アーネは音読をしていましたが、何を思ったか私が、「目だけで読める(つまり黙読)?」というようなことをアーネに言い、アーネはそれにチャレンジしたことを覚えています。

その結果どうなったかをまったく覚えていないのですが、スマホの動画を頼りにすると、黙読をして一冊の本を読みきったのが、5才の夏でした。
6才になった今は、かいけつゾロリにはまって、読み聞かせはせず、一人で黙読しています。

0才
ひらがな読めない 読み聞かせメイン

1才
ひらがな読めない 読み聞かせメイン

2才
ひらがなたどたどしく読める 読み聞かせメイン

3才
ひらがなたどたどしく読める 読み聞かせメイン

4才
ひらがなまぁまぁ読める 読み聞かせメイン、ときどき音読

5才
ひらがなまぁまぁ読める 読み聞かせ7割、一人読み3割(音読)
※割合は肌感覚

6才
ひらがなスラスラ読める 読み聞かせ1割、一人読み9割(黙読)


音読から黙読に変わることに、文字が読めるようになることが、どのくらい関わっているのか。
歴史的に見て、古来より人間の読書は音読が中心だったそうです。
それが、だんだんと黙読に変わっていった。
なぜそうなっていったのかについては諸説あるようですが、アーネの姿を見る限り、文字を読むスピードと、口に出すスピードの不整合がある時期を境に起きて、早く先を読みたいという気持ちが黙読を後押しするかのようです。
また、なじみのない単語が出てきたときは、ボソボソと声に出し読んでいます。

アーネの身の上に人類の歴史がギュッと凝縮されているかと思うと、非常に興味深いです。

音読と黙読のメリットにどのようなものがあるかわかりませんが、音読に関して次のようなエピソードを紹介して、音読のメリットの仮説としたいと思います。

『どうしてないているの』という絵本があります。


この本には、いろいろな泣いている理由が書いてあります。


これをジージョ(2才)に読んでいた時、たまたまアーネ(6才)が日曜日に「遊園地におでかけする」か、家で「ミラクルちゅーんず!」を見るかで迷っていました。

私はジージョに「どうしてないているかわかる?」→「だって◯◯◯なんだもの」と読み聞かせています。
それを聞いてアーネが、「あ!そうだ!」と叫び、

「どうしてまよっているかわかる?」

「だって、ゆうえんちにいきたいんだもの」

「だって、ミラクルちゅーんずをみたいんだもの」

と一人でまよっている理由を、『どうしてないているの』のセリフを変えて口にしたのです。


これは、ただ文章をパロディにしただけと取れますが、私にはある種の創作のように受け取れました。
いや、もう親バカなんですけど、これが音読と黙読とどうつながっているかというと、音読は自分ががそれを「読んで」いなくても、他者が読んでいれば、嫌でも耳に入ってくる。
で、自分が今とりかかっていることとは異なるものが入り込んでくると、それがきっかけとなって創発が起こる。

創発というものが、関連性の高いモノの総和よりも、異物なモノとの組み合わせの方が起きやすいことを鑑みると、黙読というスタイルよりも、音読の方が創発が起きやすいんじゃないか、、、というようなことを思いついたんですが、まぁわからないです。

私たちは、会社レベルでも個人レベルでも、「今の仕事X」に役立つ、「仕事とは異なるY」をどのように探し与えるかについて試行錯誤しておりますが、音読というものは、それに何がしかヒントを与えてくれるような気がします。

以上、親バカが最前線からお伝えしました。

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