閉じた「なんで?」を使わない


私は娘のアーネが4歳前後から発しはじめた「なんで?」を記録し続けています。
「なんで?」には、自然のなりたち、モノゴト歴史やしくみ、行為の理由など、様々なものがあります。
その一つ一つが、「そんなところに注目するのか?(ひっかかるのか?、不思議に思うのか?)と、たいへん興味深く、面白く感じます。
そうした「なんで?」を答え、調べ、問答してきましたが、この経験から強く思うのは、子どもの「なんで?」には、大人の前提や固定概念をゆさぶり、バラす力があり、大人に新しい視座やヒントを与えてくれるということです。
そして、「なんで?」と思い、考えることは、子どもにとっても、観察、仮説、行動を起こすためのエンジンになり得るということです。

私は子どもが「なんで?」と感じる心を育むことができるよう、試行錯誤しておりますが、最近、「この"なんで?"の使い方・育み方は良くないな」と感じた経験をしました。

子どもと一緒に公園や習い事教室などの子連れスポットに行きますと、親子の会話が耳に入ってきます。

サッカーの練習をしていると、「なんで、あそこでパスしなかったの?」
ピアノの練習をしていると、「なんで、ドの下がラなの?」
旅行をしていると、「なんで、リュックを忘れちゃったの?」

文字だけを見れば、なにが良くないのかわかりにくいですが、この「なんで?」を発しているのは親です。
そして、その「なんで?」は、「なんで?」と口にしているのに、その理由を知ろうとしていません。
言葉に現れていないものを書き出すと、
「なんで、そんなことをしたのか。なんで、そんなふうに思うのか、パパ・ママにはわからない。理解できない」
となります。

子どもがそう考えた理由を知り、状況を鑑みて、「では、こうしてみよう」と対応を工夫しない「なんで?」は閉じています。

「なんで?」には前提や固定概念をゆさぶり、バラす力があるはずなのに、その「なんで?」を自分の固定概念や、わずかばかりの経験や知識、狭い価値観を土台にして使ってしまっている。

算数でこんな問題があるとします。
「花子さんがアメを2つ持っていました。おばあさんが、花子さんにアメを3つくれました。花子さんのアメは全部でいくつになるでしょうか?」
この時、普通なら子どもは5つと答えるでしょうが、ある子どもは、「なんで、おばあさんが花子さんにアメをくれるのかが、わからない」と思う可能性があります。

音楽でも、そもそも、なんで、ドの下の音がシと決まっているのかがわからない。

子どもの思考、言動、行動には何かしらの理由があります。状況や文脈が異なることで、それらが影響を受けることがあります。
そうしたことを知ろうとせず、閉じた「なんで?」を使い続けてしまっては、子どもは顔色をうかがうようになってしまいます。
そしてそれは、子どもが使う「なんで?」にも影響を及ぼしてしまうのでないでしょうか。

そうならないために、できるだけ、ひらかれた態度・心持ちで、ひらいた「なんで?」を使おうと思います。
(※これは、オープンクエスチョンとクローズドクエスチョンの使い分けに通じます)

以上、親バカが最前線からお伝えしました。


※2018年8月追記
長女が小学一年生になって、夏休みの登校日に算数のテストがありました。
プリントが3枚あるうちの1枚しかできなかったと言うので、

「なんで、できなかったんだと思う?」

と聞くと、

「じっくり考えていたから」

と答えました。
子どもがこう答えてくれれば、時間に限りがあるときのペース配分を教えることができます。

この問いかけを、本当にわずかな違いながら、

「なんでできないの?」、「なんでできなかったの?」

と聞いてみたらどうなるんでしょう?
子どもは詰問された感じを受けるでしょうか。
口調や表情でそうした印象を与えないで済むかも知れません。

「なんでできなかったと思う?」もしくは(或いは、その後に)、「どうやったらできたと思う?」
と聞くと良いのかなぁと考える次第であります。

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